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日本のプロ野球について、プロ野球球団やプロ野球選手について書くブログです。

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2017-09-24-Sun 12:13:19 │EDIT
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東北楽天ゴールデンイーグルス

2007-09-16-Sun 23:52:47 │EDIT

東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、2005年からパシフィック・リーグに参入した日本のプロ野球球団。通称は楽天イーグルス、東北楽天。球団運営会社は、株式会社楽天野球団。

球団設立
大阪近鉄バファローズの合併計画によるプロ野球再編問題 (2004年)の流れの中で、2004年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けてプロ野球チームの設立を提案。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。同年10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)とすることと、初代監督に田尾安志が就任することを発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。

結成時の選手構成はオリックス・ブルーウェーブ及び大阪近鉄バファローズに属していた選手を中心とし、参入して初めてのドラフトでは、明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で獲得。他、即戦力選手を6名獲得した。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)がいた。

宮城球場、並びに2軍チームの命名権を公募。その結果球場の命名権を人材派遣会社のフルキャストが取得し、フルキャストスタジアム宮城と命名された。また、1軍練習場としてフルスタと同じ宮城野区にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念した。

2軍本拠地は当初、1軍と同じ仙台市で申請されていたが、施設探しに難航した結果、誘致に積極的だった秋田県秋田市ではなく、山形県東村山郡中山町に置かれることになった。練習場は天童市にある山形県総合運動公園の野球場を改築対応し、合宿所や室内練習場も整備する計画だったが、選手の大半が宮城県在住(自宅購入、マンション賃貸、ホテル住まい)で、また選手の1・2軍入れ替えも頻繁であるから必要性に疑問があるとしてそれらの計画を白紙に戻した(但し2軍本拠地の変更はしない)。

フルキャストスタジアム宮城から山形県野球場までは、全線一般道利用で70km程、高速道路経由では83km程(東北自動車道・仙台宮城IC~山形道・寒河江IC:71km、2050円(ETC の通勤割引で半額になる))。

フルキャストスタジアム宮城から山形県総合運動公園までは、全線一般道利用で60km程、高速道路経由では75km程(東北道・仙台宮城IC~山形道・山形北IC:60km、1750円(ETCの通勤割引で半額になる))。

また2006年、泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成。グラウンドサイズはフルスタ宮城と同じ両翼101.5m、中堅122mの全面人工芝で、地元・宮城県を基盤とした家電販売のデンコードーと命名権契約を結び「デンコードースタジアム泉」となった。当球場ではイースタン・リーグの試合は行わず、主として教育リーグや練習などが中心となる予定。

チーム名が「東北楽天」でありながら、球団発足の2004年当時に東北地方で人気が高く、ファンの入団希望も多かったダルビッシュ有(東北高→北海道日本ハムファイターズ)や佐藤剛士(秋田商業高→広島東洋カープ)といった東北地方の高校出身選手の獲得に動かなかったことから「東北新球団への期待を裏切られた」との声もある。当然、興行的にはダルビッシュなどは喉から手が出るほど欲しかったが、獲得資金の問題や新規参入球団ゆえ練習場や2軍施設に難があり、球団創設当初の楽天では高校を卒業したばかりの選手をきちんと育て上げられない事情があったことから、即戦力新人重視の補強、大学・社会人出身選手、または他球団からの移籍選手がチーム編成の中心になった。

新規参入決定直後の秋期キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。その際、「近鉄の後継球団として大阪のファンも大切する」との理由で宮城県よりも先に選手のサイン会が開催された。

2005年度のオープン戦は宮城球場の全面改装工事の実施の関係からホームゲーム(主催試合)は行わず、全試合(17試合)ビジターゲームで開催された。

2006年からは「楽天イーグルスTV」(公式サイト)でホームゲームを中心に試合を無料で生中継している(シーズン当初は楽天会員登録しなくても良かったが、現在は登録が必要)。


2005年シーズン
開幕戦は千葉ロッテマリーンズとの対戦(千葉マリンスタジアム)。先発・岩隈久志の好投により3-1で初勝利。新規参入球団が既存球団を相手に初戦で勝利を収めたのは、楽天が初めてであった。

第2戦は0-26の記録的大敗。

この記録は1946年7月15日に、ゴールドスターがグレートリング戦で0-26の完封負けを喫した試合と並んで、1試合最多失点完封負けのタイ記録。またこの試合では渡辺俊介に1安打1四球と抑え込まれ、且つそのランナーをともに併殺で潰したため、27人で攻撃を終了した。

4月15日の日本ハム戦(東京ドーム)から11連敗。このため4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを2軍にそれぞれ降格にするなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。

本拠地フルキャストスタジアム宮城での日本ハム戦の初戦は、7月2日となった。

理由は、4月5日・6日の日本ハム2連戦を地方(福島・いわき。そのうち福島では後述のようなアクシデントも発生した)で行い、5~6月にセ・パ交流戦が行われたため。しかしSHINJO効果、さらに日本ハムには江尻慎太郎、金村曉、ダルビッシュ有と宮城県に縁のある選手がいるなど様々な要因が重なり、初戦の観客動員数は開幕以来最高を記録し、北海道・東北の最北同士の両チームは「北国ダービー」と呼ばれフルスタの人気カードになった。

7月は有銘兼久のチーム初完封勝利(31日・対西武ライオンズ戦)もあって10勝9敗1分けと初の月間勝ち越しを記録した。

8月9日からは2度目の11連敗を喫した(シーズン2度の10連敗以上を記録したのは1989年の横浜大洋ホエールズ以来。パ・リーグでは3度を記録した1961年の近鉄バファローズ以来)。

8月29日、日本ハム戦(宮城)に敗れたことによりシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決定した。8月中に最下位が決まったのは1952年、8月20日に決まった近鉄以来53年ぶり。この時点での成績は33勝84敗1分、8月の月間成績は3勝21敗だった。

9月25日のホーム最終戦終了後、田尾安志監督のシーズン終了を以っての解任が発表される。

9月28日、全日程終了。38勝97敗1分(勝率.281)で5位(北海道日本ハムファイターズ)と25ゲーム差、レギュラーシーズン首位のソフトバンクからは51.5ゲーム差付けられる断トツの最下位に終わった。

2005年12月26日に宮城県から1440万円の支援金の交付を受ける。


2006年シーズン
前任の田尾安志に代わり、野村克也を監督として招聘。弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った(無形の力とは、目に見える技術を有形の力とし、それに対して目に見えない力、すなわち判断力や観察力等の頭脳面を指す)。

2006年は補強を進め、西武ライオンズからホセ・フェルナンデス、2003年に千葉ロッテマリーンズで活躍したリック・ショートなどを獲得。

オープン戦で初めての主催試合を開催することが決定したが、フルスタ宮城での開催は2005年同様に改修工事実施のため組まれず、倉敷マスカットスタジアム・香川県営野球場・静岡県草薙総合運動場硬式野球場(静岡のみ2試合)の3球場・4試合で行われた。

前年9勝を挙げた岩隈久志、また前年横浜ベイスターズで7勝のセドリック・バワーズが開幕1軍から外れたため、北海道日本ハムファイターズとの開幕2連戦では前年2勝の一場靖弘と新外国人のインチェが先発するという苦しい投手事情もあり、開幕から5連敗を喫する。

この年からホーム用の交流戦専用ユニフォーム(”E”のマークが前面左上部に付きその下に小さく”RAKUTEN”と書かれた、袖がクリムゾンレッド〈というか紫みが入った紅色の〉ラグランスリーブ)でセ・パ交流戦に臨む。

5月25日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ戦でリック・ガトームソンから交流戦初のノーヒットノーランを喫する。

6月16日からの巨人との3連戦で史上初の4カード連続勝ち越し。交流戦も最終的には17勝19敗で12球団中7位(日本ハムと同率)で終わった。

6月28日の西武戦(福島)に4-1で勝ち、通算2度目の月間勝ち越し。

サンヨーオールスターゲームはファン投票で選出された選手はおらず、監督推薦でホセ・フェルナンデスと福盛和男の2人が選出された。

8月20日の対オリックス・バファローズ戦でリーグ戦初の同一カード3連勝を果たす。

8月26日・27日、ファームの試合が青森県営野球場で開催、東北地方6県すべてで公式戦の開催を実現。

9月25日に行われたドラフト会議(高校生の部)で夏の甲子園大会準優勝・駒大苫小牧の田中将大投手を1巡目指名。

10月1日、全日程終了。2年連続最下位に終わったものの、前年より9勝多い47勝(85敗4分)を挙げ、5位(オリックス・バファローズ)とは4.5ゲーム差。

リック・ショート、鉄平、ホセ・フェルナンデス、高須洋介と12球団最多となる3割打者4人を輩出した。

11月3~8日、日米野球。日本代表監督として野村監督が指揮を執る(全5戦共)。楽天からは高須洋介、鉄平、福盛和男、小倉恒が登場。

11月14日、ホセ・フェルナンデス選手がベストナイン受賞。球団初のタイトル獲得選手となる。

12月28日、同球団のジュニアチームがNPB12球団ジュニアトーナメント(26日開催)にて読売ジュニアを下し優勝した。


2007年シーズン
気候上の問題から、オープン戦はフルスタ宮城では3年連続で主催試合を行わず、高松1試合と静岡2試合の3試合のみを主催。

4月1日、オリックス戦(フルスタ宮城)で、3回裏にホセ・フェルナンデス、山崎武司がともに吉井理人投手から満塁本塁打を記録。1イニング2本の満塁本塁打はプロ球界で3例目。同一投手からはプロ野球史上初。

4月17日~4月19日、対ソフトバンク3連戦(フルスタ宮城)で、初の本拠地3連勝を記録。

4月20日、4月21日のフルスタでの千葉ロッテマリーンズ戦で、ファン人気投票で決まったという3rdユニフォーム(正式には交流戦用のラグランスリーブのユニフォームがあるため4thユニフォーム)を着て試合を行う。

4月、山崎武司が月間MVP受賞。イーグルス初の受賞者。

5月9日~5月15日、球団新記録となる5連勝を記録。

6月17日、中島俊哉の1軍に昇格により、楽天の創立メンバーは全員1度は1軍を経験。

7月2日、オールスターで8選手がファン投票で選出される。

8月31日、田中将大が球団初の10勝到達。

8月、ホセ・フェルナンデスが月間MVPを受賞。チームの月間勝利数記録を15に更新する。

9月15日、山崎武司が球団初の100打点到達。

 

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