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日本のプロ野球について、プロ野球球団やプロ野球選手について書くブログです。

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2017-05-26-Fri 01:03:09 │EDIT
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東京ヤクルトスワローズ

2007-09-21-Fri 23:16:43 │EDIT

東京ヤクルトスワローズ(とうきょうヤクルトスワローズ、Tokyo Yakult Swallows)は、日本のプロ野球球団でセントラル・リーグの球団のひとつ。東京都を保護地域とし、一軍は都内新宿区にある明治神宮野球場、二軍は埼玉県戸田市にあるヤクルト戸田球場を専用球場としている。

国鉄・サンケイ時代
1949年シーズンオフ、リーグ拡張方針に伴うプロ球団乱立の煽りを受け各地の国鉄鉄道管理局の野球部から選手が引き抜かれる事態が発生。国鉄は同年の大幅な合理化で労使関係が悪化しており、国鉄職員の団結と意志発揚を目的にプロ球団設立を発案。当時の加賀山之雄総裁が大の野球好きであったことも、参入実現の一要因となった。日本国有鉄道法に抵触するため国鉄が直接親会社になることは出来ず、国鉄の外郭団体である財団法人鉄道協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現JTB)などの企業により「国鉄野球株式会社」を設立。球団名を国鉄スワローズとした。国鉄参入直前のセ・パはともに7球団であり、切りの良い8球団にしたいという思い、それも大企業である国鉄のプロ参入にセ・リーグ関係者は色めき立っていたが、パ・リーグとの勧誘合戦により参入が立ち消えになってしまうことを恐れ、セ・国鉄内部ともに極秘扱いで計画は進められた。参入の下準備も佳境に差し掛かる頃には巷間でも国鉄参入の噂が立っていたが、国鉄がプロ球団など作るはずがないとパ・リーグは高を括っており、参入は至って順調に成功した。参入が他新球団より遅れていたため選手確保がままならず、自前の鉄道管理局野球部を中心に他の社会人や大学などのアマチュア野球に残っている人材をかき集めたが、プロ経験者は戦前の一時期阪急に在籍した中村栄ただ1人という状態で、アマチュア野球では強豪の鉄道管理局野球部もプロでは通用せず、打てばゲッツー守ればエラーという散々な状態。エース・金田正一の投球がチーム成績を左右した。金田の活躍で最下位こそ少なかったが常に4位、5位。順位こそを振るわなかったものの、こと巨人戦では互角かそれ以上の試合を見せ、後楽園の国鉄・巨人戦は関東で最も人気のある対戦であった。

1961年に初めて3位になりAクラス入り。翌年の1962年、年々増大する経営費のために経営主体は鉄道協力会から鉄道弘済会へと変わっていたが、公共企業・国鉄の球団であるという体面もあり相当の緊縮財政であった。新人選手の契約金は高騰する一方で満足な補強もできず(当てになる戦力は金田だけだった)、更に前年に起こった三河島事故による批判は球団にも飛び火していた。同年8月、球団譲渡を前提とした業務提携を産経新聞社、フジテレビジョンと結び、フジサンケイグループとの関係が生じる。この時点で経営主体はフジサンケイに移る。

1964年、主催試合を系列のフジテレビで中継するために、本拠地を後楽園球場(巨人のグループ会社である日本テレビのみ中継権が与えられていたため)から神宮球場へ移転する。同年オフ、当時の林義一監督の更迭・留任を巡り産経新聞と国鉄は激しく対立。エース・金田が「林監督がそのまま続投した場合移籍するが、解任された場合は残留する」との声明を出したことから国鉄は頑として林の更迭を主張、一方の産経サイドは他社マスコミ(朝日新聞、巨人の親会社・読売新聞、毎日新聞)により「林監督更迭」のスクープを先取りされていたことがあり、両者とも平行線を辿り最終的には経営主体の産経サイドが意見を押し切った。林は留任し、金田は10年選手の特権を行使して巨人に移籍した。金田を失ったことにより国鉄は経営意欲を完全に喪失し、フジサンケイへ経営権を全て譲渡し経営から撤退することとした。もとより国鉄球団は業務提携後フジサンケイの資金力に丸々依存しており、移譲は時間の問題と見られていたが、喧嘩別れで球団譲渡という結末となった。

1965年5月10日、産経新聞へ正式に球団を譲渡し球団名をサンケイスワローズに変更。

1966年、少年野球ファン開拓のため鉄腕アトムをペットマークに使用しチーム名をサンケイアトムズへ改称。同年ヤクルト本社が株式を取得し球団運営に参加。

1969年、産経新聞は本体の業績不振のため株式の一部をヤクルト本社へ売却。表面上は共同経営とし球団名をアトムズと改称、実質経営権はヤクルトが握った。

1970年1月7日、ヤクルトが公式に単独で経営権を持ちヤクルトアトムズ

ヤクルト時代
1970年、92敗と歴史的大敗を喫し、ぶっちぎりの最下位。尚、セ・リーグでは2003年の横浜ベイスターズが94敗を喫すまではシーズン90敗達成球団が出てこなかった。

1971年に三原脩を監督に招聘するが3年連続Bクラス。

1973年11月26日、虫プロダクションの倒産に伴い鉄腕アトムのキャラクター使用を中止。チーム名をヤクルトスワローズに変更。

1976年5月13日より荒川博前監督に代わり広岡達朗が監督に就任。なお、国鉄時代の1962年からこの年まで15年連続シーズン負け越しでこれはセ・リーグワースト記録である。(日本記録は福岡ソフトバンクホークスの南海時代の1978年からダイエー時代の1993年にかけての16年連続)

1978年、打者では若松勉、大杉勝男、チャーリー・マニエル、投手では松岡弘、安田猛、鈴木康二朗らが活躍し球団創設初優勝・日本一を達成した。しかし1979年はオフの補強に失敗し、森昌彦ヘッドコーチ解任・広岡監督途中休養もあって、一転して最下位。

1980年、武上四郎監督が就任。就任初年にチームは2位へ浮上するも、以後は低迷した。

1984年、土橋正幸監督が就任。1985年・1986年と2年連続最下位に甘んじるが、広沢克己・荒木大輔が台頭。

1987年、関根潤三監督を招聘。チームは低迷したが池山隆寛・栗山英樹ら若手が成長。

1990年、野村克也監督が就任。野村就任と同時に正捕手となった古田敦也の活躍もあって1992年・1993年とリーグ2連覇、1993年は日本一。1995年、1997年にも日本一に輝くなど、強豪チームへと成長した。野村監督は1998年限りで勇退。

1999年、若松勉監督が就任。2001年に日本一となった。その後も2002年~2004年も3位以上を保ち、4年連続でAクラスになった。4年連続でAクラスを確保したのは、球団史上初の出来事である(ただし2003年は、前年順位でヤクルトを上回る巨人と同率3位であったため開幕権を得られず、2005年の開幕はビジターで行われた)。


東京ヤクルト時代
2005年シーズンの終了をもって若松監督が勇退。2006年からは、古田敦也が選手兼任監督として指揮を執ることになり、神宮球場をヤクルトファンで埋め尽くす事を目的とする「F-PROJECT」を立ち上げた。更にアメリカから復帰した石井一久、高津臣吾、木田優夫を獲得。

2005年12月19日のプロ野球実行委員会において、古田の悲願であった「東京ヤクルトスワローズ」へのチーム名変更が全会一致で承認され、ユニフォームに国鉄以来となる「Tokyo」の文字が復活した。これを機に東京都との地域密着を図るチームとして再出発し、地域密着の基本である学校訪問や、神宮周辺の青山商店街で試合の半券をもって行くと特典が受けられる、といったサービスを行っている。また、同じ東京(東京ドーム)を本拠地とする読売ジャイアンツとの直接対決を東京ダービーと呼ぶ向きもある。しかし、マスコミ等では現在でも「東京」を省いて単に「ヤクルト」と呼称される事が多い。(「千葉」ロッテ、「福岡」ソフトバンク、「北海道」日本ハム、「東北」楽天と同様。)

2006年も前年同様、リック・ガトームソンのノーヒットノーラン等の活躍で交流戦2位になるなど、交流戦で順位を上げたが、交流戦終了後ほぼ5割ラインに停滞し続ける。結果3位となり2年ぶりにAクラスは確保したが、優勝争いにからむことはほとんどなかった。
8月から東京のUHF、東京メトロポリタンTV(TOKYO MX)で今年度初のテレビ中継が開始。以前から年間数試合は中継があったが近年1試合も中継が無い年もあった。解説はOBの角盈男で以前は平野謙も担当であったが同氏が北海道日本ハムの打撃コーチ就任の為、前田益穂(中日・ロッテ出身、台湾野球元監督)が務める。

2007年9月、古田監督の現役引退、球団からも退団することが発表されたが、神宮球場が両翼10mの改修工事もあり、新監督、新体制が注目される。

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